老朽化した自販機「ぼく」の、温かい物語――『ぼくはぽんこつじはんき』レビュー
秋田市ポートタワーセリオンにあるうどん・そば自販機を主人公とした絵本、『ぼくはぽんこつじはんき』。この作品は、単なる自販機の物語ではなく、長年愛され、時に酷使されながらも、淡々と自身の時間を刻む存在の、静かな尊厳を描いた、心温まる一冊です。
海が見える場所での、長い日々
主人公である自販機「ぼく」は、海の見える場所に設置され、長年多くの人々にうどんやそばを提供してきました。 常に人々の列に囲まれ、忙しく働く日々。その様子は、絵本の柔らかなタッチで、実に丁寧に描かれています。 しかしその一方で、機械としての老朽化は否めません。「ぼく」は、自分自身を「ぽんこつじはんき」と表現するほど、傷つき、汚れ、古びています。 錆びついた部分や、剥がれかけた塗装など、細部に至るまでリアルに描かれており、まるで実物を見ているような錯覚に陥ります。 この描写は、単なる「古さ」ではなく、「長く働き続けた証」として、むしろ愛おしく感じさせる効果を生み出していると感じました。
「ぽんこつ」という愛称に込めた、人々の思い
「ぽんこつ」という愛称は、決して蔑称ではなく、むしろ長年使い込まれた機械への愛情と、どこか懐かしさを感じさせる、温かい言葉として受け止められます。 「ぽんこつ」と呼ばれることへの「ぼく」の感情は複雑なものでしょうが、その言葉の中に、人々の感謝や、共に過ごした歳月への思いが込められていることを、読者は自然と理解できるのです。 この愛称一つとっても、人々と機械との間に築かれた深い信頼関係が感じられ、物語全体を優しく包み込むような温かさを感じます。
働くことの喜びと、静かな寂しさ
絵本は、「ぼく」の視点から、日々の出来事を淡々と綴っています。 忙しく働く日々、機械としての故障や修理、そして訪れる人々との触れ合い。 これらの描写は、単なる事実の羅列ではなく、「ぼく」の感情を繊細に表現することで、まるで「ぼく」が語りかけているかのような臨場感を与えています。 特に、客が美味しいうどんやそばを食べた時の反応や、感謝の言葉を聞いた時の描写は、長く働き続けてきた「ぼく」にとっての喜びと、存在意義を改めて感じさせてくれる、重要な瞬間であることが伝わってきます。 一方で、機械としての老朽化や、新しい機械が登場したことによる寂しさも、繊細に描かれています。 この静かな寂しさは、単なる機械ではなく、長年働き続けた一人の「存在」として、「ぼく」をより人間味あふれるものとしています。
絵本の持つ、不思議な力
この絵本は、単なる自販機の物語にとどまりません。 それは、老朽化していく機械の姿を通して、私たち自身の時間や人生を、静かに見つめ直すきっかけを与えてくれる作品です。 「ぼく」の辿ってきた道のりは、私たち自身の歩んできた道と重なり、共感と感動を呼び起こします。 また、絵本の柔らかいタッチと、温かみのある色使いは、読者の心を優しく癒してくれます。 セリオンへ移設されたという歴史的背景も加わり、単なる物語を超えた、一つの「記録」としての価値も持っていると感じます。 秋田市を訪れたことがある方にとっては、懐かしい思い出が蘇り、訪れたことのない方にとっては、いつか実際にセリオンを訪れてみたいという気持ちにさせてくれる、そんな力を持っている絵本です。
まとめ:普遍的なテーマを、優しく伝える絵本
『ぼくはぽんこつじはんき』は、一見するとシンプルな物語ですが、その奥底には、働くことの意味、時間と人生の移ろい、そして人と機械との温かい繋がりといった、普遍的なテーマが込められています。 老朽化した自販機という、一見すると私たちとはかけ離れた存在を主人公に据えることで、逆に私たちの心に深く響く普遍的なメッセージを、優しく、そして力強く伝えてくれる、そんな素晴らしい絵本です。 この絵本を手にとって、ぜひ「ぼく」の物語に耳を傾けてみてください。 きっと、あなた自身の心の中に、何か温かいものが芽生えることでしょう。 そして、秋田市のポートタワーセリオンを訪れた際には、ぜひ「ぼく」に会いにいきたいと思うはずです。